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03/13(月)
計画停電を前に、営業するためには何が必要か?
何が足らないか?を考えた。
冷蔵庫、電話(問い合わせ)、一包化パック製造器、粉巻機、
電子薬歴閲覧、薬袋作成、
領収書発行すべて電気がないとできない。
が、
冷蔵庫…持参した保冷剤で代行可能(3時間程度なら)
電話(問い合わせ)…携帯電話で代行可能
一包化、粉巻き…お届けで代行可能
電子薬歴…事前に印刷で可能
薬袋…手書きで代用可能
領収書…未収で次回回収で可能
一時は、営業休止を本部に具申することも
考えたが、営業は可能と判断した。
何よりも、
『薬があるのに交付できない』という事態だけは
避けたかった。
そのために工夫を凝らすのが薬剤師の仕事だ。
月曜日朝一で近隣病院へ電話。
08:00から緊急会議。
その間は何人たリとも通すなと言われているとのこと。
終わり次第電話してくれるよう、それができないなら、
直接訪問する旨伝える。
終わり次第、事務長に当局に電話させることを
確約してもらう。
08:55 病院より電話。
やはり、計画停電中も営業はするとのこと。
お薬手帳を持っている患者は即時に、
手書きで処方箋を発行、薬局でDO処方がわかれば
薬局の言うなりに処方箋を発行することを確認。
その情報を聞いた後、薬局側では
電子薬歴の先読み機能を利用し、
150人の電子薬歴をプリントアウト。
患者名を言ってくれれば、出来る範囲で
患者の了承を得た上で情報提供する旨伝える。
結局は大騒動にはならなかった
(計画停電予定時間中は患者さんはこなかった。)
が、対応を出来たことは、勉強にはなった。
こうして震災後、3日は乗り切った。
が、大震災の恐ろしさ、そして都市機能の脆弱さを
思い知るのは03/14(火)以降のことだった。

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3/12(土)晴れ。
気仙沼で火災。
情報と映像が入ってきた。
『陸前高田は壊滅状態』という情報も入ってきた。
壊滅状態なんて言葉おいそれと使うんじゃねーよ!
と、心底腹が立ったのを覚えている。
勿論その後、『壊滅状態が真実』であることを知り、
えらく落ち込むのだが…。
マスコミは現地にヘリコプターで入っていた。
上空から、津波で孤立した人に対して
『私達は助けたくても助けられないんです。』
という女性アナウンサーの悲痛な叫びをテレビで流していた。
最初は救急などの法律でできないのかと思ったが、
昼過ぎに各都道府県のヘリコプターが
被災者を県庁等に帯同していた。
言うまでもなく、朝の女性アナウンサーは
嘘をついていたわけだ。
土曜日は電車は動いていた。
コンビニも食べ物はあった。
いつも通り、コンビニオニギリを朝飯にした。
土曜日は営業に問題はなかった。
近隣病院も営業に支障はなかったようだ。
日曜日(03/13)は当然家でおとなしくしていた。
金曜日に通産大臣が電力が逼迫しているから、
『電気を使うな。』と言っていた。
日曜日はテレビも見ないで1日中布団にくるまっていた。
が、友人からの電話で状況が一変した。
『計画停電をするってよ。仕事場大丈夫?』
月曜日は非番だが、出勤することにした。
カバンに一杯の保冷剤を詰めて。
つづく

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