そろそろあの日のことを語るべき時だろうか…② 日々のこと 2011年06月19日 今となっては信じられないが、 震災当日は、地震の後も全員平然と業務終了まで仕事していたし、 患者さんも普通に薬局に来ていた。 患者さんは口々に 『あんなの生まれて初めてだよ!!』 って言っていた。 80年生きている人生の先輩が 初めてってんだから、 半分しか生きていない私が 経験済みの訳ないですよね。なんて笑っていた。 営業終了後、近隣医療機関の 事務長と、あすも通常営業する旨確認し、 みんなを帰した。 いわゆる閉店業務は全部自分一人で やって、残業して帰ることにした。 後で知ったことだが、うちの薬局とその近隣は 運が良かっただけで、県道隔てた反対側は 地震直後に停電。診察を終了した医療機関も多かったらしい。 帰宅ラッシュが始まり、目の前の県道は大渋滞。 残していた残務を全て終えてから 帰宅することに決めた。 夜21:00近くのラーメン屋で夕食。 チェーン店だったが、平然と営業していた。 客も全く動じておらず、普通の風景。 ちょっと奇妙な気がしたのを今でも覚えている。 ラーメン屋からの帰り、 県道の反対側が全部停電していることに気付く。 写真を撮ろうとしたが、躊躇われた。 今でも、『撮っておけばよかった。』とも思わない。 通電しており、こうこうと明かりが照らされる中、 TVを見ながら書類整理をしている私が、 興味本位に撮影してよいものだとは思わなかったからだ。 TVでは帰宅難民の報道をしていた。 当社でも新宿勤務の2名の職員が 会社に宿泊した。 2200退社 渋滞は解消はされていないものの、 かなり減っていた。 車よりもむしろ電車沿い県道が 歩行者で溢れかえっていた。 夜の2200である。 中学生と思われる子供も少なくなかった。 帰りにコンビニに寄る。 コンビニは大混雑。買い物に来たというよりは 帰宅難民が、家族との待ち合わせ場所に使っているように見えた。 が、真実は違った。 買い物しないのではなく、出来ないのだ。 コンビニから食べ物が消えた。 こんなのを見たのは、後にも先にも初めて。 今回は先ほどと違い自分も『被害者』なので 躊躇なく撮影した。 コンビニの品薄状態は私が住んでいる街では 約1週間続いた。 1週間後、福岡の友人に 『こっちも物資が潤沢になってきたよ~』 と、メールした写真がこれ。 帰宅したら、自宅も通電していた。 とりあえず、ネット、TVで情報収集することにした。 http:// [1回]PR http:// [1回]PR" dc:identifier="http://rittounoburubon.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E3%80%85%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8/%E3%81%9D%E3%82%8D%E3%81%9D%E3%82%8D%E3%81%82%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%81%B9%E3%81%8D%E6%99%82%E3%81%A0%E3%82%8D%E3%81%86%E3%81%8B%E2%80%A6%E2%91%A1" /> -->