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リットウノブルボンの独り言

保険薬剤師 リットウノブルボン40代独身。好き勝手に語っちゃいます!

そろそろあの日のことを語るべき時だろうか…③

気がついたらもうすぐ今年も終わり。
そしてあの衝撃の日々が
良くも悪くも記憶から薄れつつあるので、
記録に残すことにします。

http://rittounoburubon.blog.shinobi.jp/Entry/968/

の続きです。

帰宅してネットで情報収集を始めました。
前述のように、TVもネットも繋がっていました。

神様は慈悲深く、そして無慈悲でもあると
つくづく思います。地震の日は金曜日でした。

TVでは刻一刻と、東北各県の
確認済み情報、未確認情報をと流していきます。

『連絡の取れない村がある。』
『浜に200人の遺体が流れ着いたようだ。』
と、信じられない情報が入ってくる一方、
ネット上ではデマも流れ出したし、燥ぐ馬鹿も散見できた。

『飲み会なう!』
には心底呆れたし、悲しい気分になった。

まだ正確な情報が入ってきていない段階だった。
帰宅難民に溢れ、駅もパニック状態だった。
そもそも金曜日であり、じたばた動くよりも
その場に留まることが冷静な判断でもあった。

正直に言うと、
自分が都心にいても、同じ行動をしていたと思う。
地震直後にカプセルホテルを予約していたと思う。
が、
『帰る奴は馬鹿、財力も(気持ち的な)余裕もある自分は利口。』
と、ネットで誇示する必要はあったのだろうか???

22:45ケータイのメールが一気に来た。
正直に言うと、震災直後に友人から一通、メールが来て、
家族の安否を確認した以外は、
全く携帯メールが届かなかった。
ちょっとだけ、『俺、友達少ない。』って落ち込んでいた。
が、その時間、関西から、九州から本当に心配してくれている
メールを沢山受けていたことを知った。

震災の夜。
一人で過ごす不安な夜ですごく嬉しかった。
面白いもので関東県の友達からは一通もメールをもらわなかった。
思い出してみると、私も親友も含め一通も関東県の友達には
メールしていなかった。
『それどころではなかった』のだ。
関東首都圏では死者が出るほどの大騒ぎするような
大地震ではなかったのはお互い分かっていたというのもあったと思う。

他方、東北圏の知人には安否確認のメールをするのが躊躇われた。
興味本位でメールしていると思われたくなかったからだ。
が、受け取ったメールですごく励まされた気持ちを
振り返ると、メールするべきだったのかもしれない。

今思い出すと、やはり異常な精神状態だったのだろう。

デマもあった。チェーンメールで
『原発が爆発した。首都圏は100年人が住めなくなる。』
『千葉のコンビナート火災が原因で首都圏に硝酸の雨が降る。』
というのを受け取った。
前者は自分が属しているメーリングリストでも
中心的なカリスマ的求心力を持つ人が発信したデマだった。

一つ一つ薬剤師として化学者として
チェーンメールの最終受取人となり、根拠を持って否定をした。

この騒動の中で、懇意にしている医療事務の女の子たち
(ネット上だけでの知り合いも含む)が、
動いている電車の情報、被災者に役立つ情報(無料電話など)
をリツイートしてくれているのは、すごく嬉しかった。

また、携帯電話などのチェーンメールでも
ネットの世界でも一番知り合いの多い薬剤師が
自分の身の回りに関しては
誰一人デマの発信源になっていないことは
一薬剤師として仲間を誇りに思えました。

そして一夜が明けます。
土曜日でほとんどの勤め人はお休みだったのでしょうが、
私は会社(薬局)も営業していたし、出勤のシフトだったので、
普通よりもやや早く起床し、出勤の準備をしました。

つづく

ヘルス パッション

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